鎧堰水辺の広場



鎧堰水辺の広場(鎧堰跡)

鶴見川本流全橋制覇の旅
鶴見川の護岸歩道を進んでいくとこんもりと木が茂った中州が見えてくる。これが鎌倉時代からの歴史を持つ鎧堰が護岸工事に際して撤去された際に、新しく公園として整備した場所である。広場の左岸に詳しい解説が記されているので紹介しておこう。


鎧堰水辺の広場(鎧堰跡)

鶴見川本流全橋制覇の旅
「鎧堰の歴史」
鎧堰は、永禄八年(1565年)に八王子城主、北条氏照候の印版状を得て武藤半六郎が構築した。北条氏照は天象十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原城攻略による落城で秀吉から切腹を命ぜられた。しかし、この鎧堰はその後長い間地域の人々に守られ今日まで400年以上にわたって野津田地区で八町八反歩(約87000平方メートル)の水田に豊かな農業用水を供給して人々の生活を支え親しまれたきた。河川整備に伴う鎧堰の撤去に際し、歴史を記す
平成二十一年

北条氏照印判状
野蔦(野津田)之郷本堰口、川二崩、当年水不上之間、新堰可鑿歟之旨、得御意候、
以彼堰過分之田地可荒義如可候間、小分之年貢引候義者不苦候、
尤新堰可為鑿旨被仰出状如件、
  丑(永禄八年)三月廿日     一雲奉
       武藤半六郎殿
       専正軒  「町田市史資料集第四集」 より
「鎧の名の由来」
元弘三年(1333)五月八日、上野国新田庄(群馬県新田郡)の武将新田義貞は後醍醐天皇側からの命を受け、鎌倉幕府を倒すための兵を挙げました。新田軍は、上野国から武蔵国に入り、鎌倉街道上道に沿って兵を進めます。対する鎌倉幕府軍は、五月九日に鎌倉を出発します。両軍は、小手指原(入間市)久米河(東村山市)にて衝突し、五月十五日には武蔵国府の有る府中に至ります。十五日十六日の二日間にわたって分倍河原(府中市)では激しい戦いが繰り広げられました。多摩川を越えた関戸付近では敗走する幕府軍を追って、激しい掃討戦(関戸合戦)がおこなわれました。
「多摩川市関戸に残る中世の伝承とその背景」より

この関戸合戦の末端で戦い犠牲になった兵の屍が鶴見川を流れ折り重なって堰をなり、その状況を見て 「鎧堰」 (当時は鎧ヶ淵) と呼ぶようになったろの伝承があります。また、堰の模様が鎧に見えたことから鎧堰を呼ぶ説もあります。
この鎧堰の北側の小高い畑に、兵の亡骸を手厚く葬り、神聖な場所と言われた「兜塚」がありました。また、並木前の畑にはヤバ(矢場)畑、ツカ(柄)畑の通称もあり、この地が合戦場であったことを思わせます。
平成二十一年の河川整備に伴い、この伝承を記す



鶴見川本流全橋制覇の旅

無名橋

鶴見川本流全橋制覇の旅
鶴見川の右岸を歩いていると鎧堰のところに小さな流れ込みがある。橋と呼ぶには若干の無理があるが歩道は綺麗に整備してある。

鶴見川本流全橋制覇の旅
このような風景で左手は新鎧橋。こ無名橋の右にはこの橋を入れて4個の小さな橋が並んでいる。


鶴見川本流全橋制覇の旅
鎧堰側から眺めれば橋らしいともいえるだろう。

新鎧橋(しんよろいばし)

鶴見川本流全橋制覇の旅
鶴見川が直線に整備された際に作られた新しい橋。以前は鎧堰で鶴見川は左に迂回していた。


鶴見川本流全橋制覇の旅
正面から見た新鎧橋。歩道も広く歩きやすい橋だ。

鶴見川本流全橋制覇の旅
新鎧橋の上から下流を眺めてみればすでに一直線に整備されているのがよくわかる。小さくても河川敷を必ず残しているのは河川の浄化や水生生物のためにも重要である。洪水時には全体が川となってなるべく早く海まで流してしまおうと言う考えだ。


鎧橋(よろいばし)

鶴見川本流全橋制覇の旅
鶴見川は以前は鎧橋の下を流れていた。

鶴見川本流全橋制覇の旅
鎧橋は傾斜の付いた橋で下の鶴見川副流は普段は殆ど水もなく湿地帯の散歩道のようになっている。

鶴見川本流全橋制覇の旅
ほとんど流れもない湿地帯だが、大雨時には一帯はすべて水路となって大活躍するのだろう。


鶴見川本流全橋制覇の旅
湿地帯の先は本流への排水口があって大雨時のみ活躍することが想像された。

ゴロタのえん堤

鶴見川本流全橋制覇の旅
すぐにゴロタ石のえん堤がある。魚のためというよりは子供達が遊んだりするときに水に親しみやすくするためのものではないだろうか。

鶴見川本流全橋制覇の旅
ここで鶴見川は二股に分かれる。右手の流れはかつての本流で、左手が直線の新護岸。整備によって島になり家屋も新しく建っている。護岸整備前には建てるには勇気の要る場所ではなかったのではないだろうか。


郷見橋(さとみばし)

鶴見川本流全橋制覇の旅
2007年6月完成の郷見橋。新しい橋は作り方がパターン化していて、たぶん予算的にも有利なのだろう。このあたりは川幅もしれているので橋の数がやたら多い。神奈川県に入ると橋の間隔が圧倒的に広がってしまう。

鶴見川本流全橋制覇の旅
正面から見た郷見橋。


えん堤

鶴見川本流全橋制覇の旅
郷見橋のすぐ下流に小さなえん堤がある。昨日が雨だったので少し水量が増しているようだ。

無名橋

鶴見川本流全橋制覇の旅
先ほどの二股に分かれた流れが再び合流する場所に小さな歩道橋がある。中州から外に出る橋でもある。

鶴見川本流全橋制覇の旅
小さな橋、この下を鶴見川の旧本流が流れているわけだ。ここで鶴見川は再び一つになる。


丸山橋(まるやまばし)

鶴見川本流全橋制覇の旅
丸山橋あたりの護岸は若干の歴史を感じるがこのあたりはもともと鶴見川の本流なのでそのためだろう。橋は平成12年6月完成なので近所の橋より少しだけ歴史がある。

鶴見川本流全橋制覇の旅
丸山橋の正面から。丸山橋のあたりは護岸も古いが住宅地としての歴史も古いようだ。

鶴見川本流全橋制覇の旅
丸山橋に併設している水道橋。もちろん一般人は渡ってみたいが渡れない。


無名橋

鶴見川本流全橋制覇の旅
再びすぐに鶴見川は本流と古い流れの副流との二つに分かれる。昔の流れの入り口に無名の橋が架かっている。

鶴見川本流全橋制覇の旅
無名橋正面から。アジサイが綺麗な時期だった。そろそろ日も傾いているようだ。


鶴見川本流全橋制覇の旅
無名橋のたもとに付近の詳しい地図が掲示してあった。ここには源流の泉についても詳しい地図が載っていた。
解説もあったので掲載しておこう。
鶴見川は、町田市上小山田町に源を発し、多摩丘陵を流下して神奈川県横浜市生麦付近で東京湾に注ぐ、全長42.5km、流域面積235平方キロメートルの一級河川です。
その流域は、町田市・稲城市及び神奈川県川崎市・横浜市に広がり、流域市街化率は80%を越えていますが、上流・源流域は、谷戸とその背後地に広がる雑木林など、現在でも豊かな自然が残っています。
谷戸とは・・・
丘陵地が侵食されて出来た谷状の地形を持つ地域です。
谷戸には、斜面の雑木林や谷底の谷戸田・湿地・草地など多様な自然環境がみられ、人間が、長い間、自然と共存した生活を営んできました。
鶴見川東京都管理区間
区間 上流端 新橋上流端
下流部 麻生橋上流
備考 神奈川県内を除く
延長  12.78km
流域k面積 31.5平方キロメートル
東京都南多摩東部建設事務所

水道橋

鶴見川本流全橋制覇の旅
流れが二股になってすぐに水道橋が見えてきた。

鶴見川本流全橋制覇の旅
まだ新しい水道橋だが、この上を渡るのはいくら高さが無くても怖い。そのうち手すりも付くのではと思うのだが。