南側遊歩道(サウスルート)1


レインボーブリッジを歩く
エントランスを入って右手のエレベーターに乗ると南側遊歩道(サウスルート)のある階まで登れる。階段は無い。エレベーターを降りてすぐに南側遊歩道に出る。眼下右手を見れば新都市交通ゆりかもめが走っていた。首都高速11号線と同様右上からくるっと回転して、そのままレインボーブリッジに入る。

レインボーブリッジを歩く
南側遊歩道の様子。降り立ったとたんに車が通る際の橋の揺れに驚くだろう。釣り橋なので揺れるとわかってはいても慣れるまでは落ち着かない。南側遊歩道はお台場側なので景色は良いのだが常に前面に太陽があるため逆光で霞みがちにある。逆に北側遊歩道は景色は遠くまで見渡せるが冬場は太陽の恩恵が無いため風が冷たい。

レインボーブリッジを歩く
すぐ下に小さな突堤と船がみえる。東京都東京港管理事務所があるので、その関連の船らしい。


レインボーブリッジを歩く
吊橋を支える主塔の部分は主塔にそってベンチが設置されて休憩所になっている。景色を見る角度も広く良く見えるように眼の部分の網が少し開けている。さすがに主塔の直下なので揺れは少ない。

レインボーブリッジを歩く
主塔にサウスルートの案内板が張ってあった。52mの高さがあるそうだ。
右手に東京湾の歴史や役割が記してあったので下記に転載しておこう。


東京港の歴史


  • 1457 長禄元年 太田道灌江戸城築城、江戸前島の平川河口に江戸湊を開く
  • 1853 嘉永6年 ペリー浦賀に来航(6月)幕府品川台場の築城に着手(8月)
  • 1858年 安政5年 日米修好通商条約締結、神奈川など5港の開港を江戸・大阪の開市が決まる
  • 1923 大正12年 関東大震災 陸上交通の崩壊により東京港の重要性が認識される
  • 1941 昭和16年 開港(5月20日)
  • 1967 昭和42年 品川重量物ふ頭完成 フェリーふ頭 3バース完成、本格的フェリー輸送の開始
  • 1975 昭和50年 大井コンテナふ頭 8バース完成
  • 1991 平成3年 東京港開港50周年記念式典・記念イベント挙行
東京港の全身である江戸湊は、江戸庶民の消費物資の流通拠点として重要な役割を果たしました。徳川幕府末期、神奈川をはじめ国内5港が外国貿易港として開港されましたが、江戸は国防上の理由で開港することなく、近代貿易港としての機会を失われました。
大正12年、関東大震災を契機に本格的なふ頭の建設が実施され、大正14年、東京港最初の本船接岸施設日の出ふ頭が完成しました。以降、芝浦ふ頭、竹芝ふ頭が相次いで完成し、東京港はようやく近代港おして歩みはじめ、昭和16年5月20日(1941年)には念願の外国貿易港として開港が実現しました。
昭和40年代に入ると世界的なコンテナ輸送革命が起こり、東京港はいち早くコンテナ化への対応に取り組みました。昭和42年(1967年)、日本で始めてのフルコンテナ船が品川ふ頭に入港し、東京港はこの時から外国定期航路を有する国際貿易港として大きく飛躍するこになりました。

東京港の役割


東京港は、東京に入ってくる貨物量の三分の一を取り扱う重要な物資流通の拠点として東京都民のくらしと密接につながっています。食料品をはじめ木材、石油製品などさまざまな物資が東京港に入ってきます。また、首都圏や北関東、南関東など広大な背後圏で生産される工業製品なども東京湾から海外、国内各港に向けて積み出されます。
東京港の埋立地には、港の施設ばかりでなく、住居、公園、廃棄物処理場、市場など、東京の都市問題を解決するための多くの施設がつくられています。
レインボーブリッジ南側遊歩道P23主塔部の掲示板より転載


レインボーブリッジを歩く
主塔部は少し外側に膨らんでいるのでこんな景色も楽しめる。正面の島は第六台場でその先にはフジテレビの本社屋が見える。
レインボーブリッジを歩く
車による揺れが激しい中を歩いていくとレインボーブリッジの中央部にさしかかる。中央部は少し盛り上がっているので前後を見れば大体の位置は判るが、レインボーブリッジの中央部を境にして芝浦と台場の表示が床に書いてあるのでこの場所が中央部となる。

レインボーブリッジを歩く
レインボーブリッジのちょうど真ん中部分。吊橋なので中央部は柱も何もなく、表示が無ければ何となく通り過ぎてしまうかもしれない。