稚児大師御影堂


等々力渓谷を行く
名勝 等々力渓谷等々力不動尊境内 と記された木漂。

等々力渓谷を行く
等々力不動尊の敷地に入ってすぐ稚児大師御影堂がある。稚児大師とは弘法大師の幼い時の呼び名である。入り口にこの御影堂の建立に際しての案内を記した石板が設置してあった。


稚児大師御影堂

等々力渓谷を行く
弘法大師御誕生
一千二百年記念
慶讃大法要
昭和50年4月6日 奉修
稚児大師尊像 制作
芸術院会員 清水多嘉示

堂宇 設計
畠山博茂
慶讃大法要大導師
満願寺第二十六世 龍文
稚児大師御影堂の石版より

等々力渓谷を行く
境内に入ると御影堂の中に稚児大師像が見えた。
等々力渓谷を行く
近づいていくと稚児大師の像と解説板があった。千社札貼り付け禁止の張り紙が見える。


稚児大師御さま

等々力渓谷を行く
小さい手を合せているお姿は
弘法大師の幼いときの お姿です
弘法大師の時代は 大学としては 高位の
貴族の師弟が 官僚になるための大学が唯一
つでした 弘法大師はこれに対して 庶民の
だれでもが学べる庶民のための大学である
綜芸種智院を創設しました 綜芸とは総ゆる
学芸を統合すること 種智とは 智恵を植え
ることです その智恵は やがて 大きく成
長し 色々な局面や難しい事態に出会った時
正しい判断をする決断力となって発揮されま
す 智恵とは 密教では決断力のことです
知識だけでは 物事の判断は出来ません そ
の智恵を養うのが あらゆる学問技術文学芸
術 書 思想を広く学び 総合することです
弘法大師の創った大学は 月謝もなく  教
校から学生まで宿舎も完備して給食付でした
弘法大師は 幼いとき 土で仏さまを造って
草や木の枝で造った御堂に祀って手を合せました
この稚児大師像は 芸術院会員清水多嘉示先生
につくって頂き お子様にも 拝みやすいように低く
安置いたしました
尚 弘法大師の幼少期は奈良時代ですが
古くからの多くの稚児大師像のように平安時代の
服装で製作していただきました
平成十一年一月
満願寺 貫首 龍文 合掌
文字が薄くなっていて読みづらい所が多いので想像で埋めた箇所もあります。

等々力渓谷を行く
稚児大師像に近づいて拝観すると、思いのほか見事な像だった。

等々力渓谷を行く
御影堂の横手に石像の頭部と思われるものが置いてあった。欠けた頭部を直に台座に供えつけたもののようだ。少しばかりの疑問と石像の歴史を想像しながら御影堂を後にした。